風の町の小さなアトリエ
前に「お片づけ術」のセミナーに行った時に気にかかったことで書ききれなかったこと。第2弾です。
セミナーではとにかくこれが鉄則だと教わりました。いらないものは処分する。モノを減らすことでシンプルに快適に暮らせるようになると。
アンチな私は(1弾)で書いたように、好きなものに囲まれて暮らすということも幸せなんじゃないかと思って暮らしています。
セミナーは前半楽しめたのですが、ものすごくがっかりしたことはここです。
紙物は貯めこまない!
役所から送られてくる書類や、領収書、チラシ。ただ溜まっていく書類たち。
彼女:捨てちゃっていいです。(そうか!)
紙物はいらないものです!
彼女:私は人からもらった、はがきや年賀状、カードも全部捨てます。
(ちょっと嫌な予感)
彼女:人からたまに写真をもらったりしますよね? 写真も紙物です。携帯で写真を撮って捨てちゃいます。
彼女:写真はデータで残せばいいんです。
(ここからは、ほとんどお話を聞いていません)
この言葉が頭に浮かんできました。Facebookで見かけたコメント。
あなたは自分の子供を圧縮して育てるの?
日々の生活はリアル、本物です。明日もちゃんとやって来るし、昨日も、去年も、そこには生活があって、20年、そして50年前から私たちはずっと生きている。
その証が、写真。
写真の中には、データの中には納まりきれない、圧縮しきれない想い出がたくさん詰まっているんです。プリントアウトした写真は、手に取ってじっくりと眺められる。だからこそ、よみがえってくる思い出もあります。
携帯の中、カメラの中、クラウドの中に思い出を押し込めないで!
すると、
私はここで妙な矛盾に気がついてしまったのです。
カタチになって、実際に存在しないものならば、ため込んでもいいの?と。
データの中にも写真は溜まっていきます。それこそものすごい量で。データの中こそ後から整理するのはとても大変。何百枚、何千枚、何万枚もの写真がただ溜まっていく。思わず見て見ぬふりをしてしまう人も少なくないのでは?
写真は何のために撮るの?
過去があるから、未来がある。今を生きるのも大切。
でも、振り返って心の整理をすることも、とっても大切。
そのツールが写真なのに。
あなたは思い出も圧縮してしまうの?
そしてもう一つ見過ごせないこと。私もカードを作るから分かりますが、手作りのカードは一つ一つ丁寧に作るから作り手の気持ちがこもります。もらったカードを見るたびにその人を思い出す。だから私は絶対に捨てません。
毎年送られてくる年賀状にも、わざわざプリントアウトしてくれた写真にも、「どうぞ」という気持ちは宿っているはず。
私はペーパークラフターだから、紙を使ってモノを作ります。スクラップブックのアルバムも、カードも、バナーも、部屋の飾りも…
ミニマリストの人たちには、ポイっと捨てられちゃうだろうけど。
最近よく耳にする「ミニマリスト」という言葉は、まるで幸せに導く魔法の言葉のように響くけれど、結局は「ベジタリアン」とか「ビーガン」とか、制限した生活の中でストリクトに暮らしている人たちと同じ響きに聞こえてくる。
たまに「ああ~!」といいながら、散らかった部屋を片付けるのもいいじゃないか、にんげんだもの。そのほうが掃除し終わった後にさっぱり、スッキリした気分になれる。
それに食べ物も。この豊かな時代、焼肉もお寿司も、何でもおいしくいただけるということは幸せじゃないか、にんげんだもの。誰に誘われても、どこにでも付き合うことができるから、好き嫌いは少ないほうがいい。
自分で決めればいいと思う。言われた通りにする必要なんて何もないのだから。日本人は真面目な人が多いから、優等生のように何でも言われたとおりに実行しようとしてしまうけれど。
正解なんてないのだから。
キレイな家に住んでも、何にもやることがなかったら、きっと退屈すぎる。
どうか、自分の考えをちゃんと持ってほしい。雑誌やネットで見かけることだけをうのみにしないでほしい。髪の毛は生えてこないし、シミは消えない。
そして、どうか、
写真だけは絶対に捨てないでほしい!
断捨離にしても、特に昔の写真だけは捨てないで!
データが消えてしまったら、全てを失ってしまう!
データの時代もいつか終わりがくる。その時に写真はどうなってしまうの?
できれば、写真はプリントアウトをして手元に置いておくのが一番いい。
面影をおぼろに覚えているのと、
写真を見て匂いや、声や、温もりまでもが思い出されるのでは全く違うから!
写真を見ると、手が止まるのはなぜ?
涙が出てくるのはなぜ?
【小梅】